始めたころから、漠然とした違和感を感じていた。違和感の正体がなんとなくだが、分かってきた。
ニフティサーブ、2ch、ブログなどを通じて情報発信をしてきた自分にとって大切なのは「何」を発信するか、である(もちろん、受信もしてきた)。
興味や関心で結ばれている関係だからできる話もある。それが面白い。興味や関心で結ばれている関係だから、情報発信者の社会的属性にも関心が低い。また、(興味や関心の数だけ)複数のコミュニティに属することも容易だ。
刺身にタンポポを載せるような仕事をしている「私」であっても、面白いことを発言すれば注目されるし、評価される。つまり、「私」が誰であるかは重要ではないのだ。大切なのは「何」を言うかだ。
このブログを見てくれている人は執筆者の社会的属性には大して興味がないと思う。書いている「私」も社会的属性から解放されるから、好き勝手書ける。
しかし、Facebookにはそうした自由が全くない。徹底した実名主義だ。だから「何」を言うかもあまり重要ではない。重要なのは「誰」であるか、だ。
現実の人間関係に拘束されるので、普段話している以上の会話が難しい。また、社会的属性(いわゆる立場)から逸脱しての発言も困難だ。結果、昔話や無難な世間話が延々続く。そう言った関係や話題に居心地の良さを感じる人にはあっているのだろう。
私自身は馴染めそうにない。